壱萬打感謝品 * バトンタッチ





  「お゛はよ゛ぉ黒崎くん」



 とある冬の日の朝のこと。いつものように自分に挨拶をするクラスメイトの、いつもと違う様子に、一護は軽く驚いた。
 彼女から発せられた声は、電話口では彼女とわからないのではないかというほどにひどくかすれてしまっているし、声に合わせて緩やかにカーブを描くはずの形のいい唇は、大きな白いマスクにすっかり覆い隠されている。



「井上、風邪か? 」
「ん、ちょっと、やられちゃいました」



 織姫は、えへへ・と苦笑して答えた。やたらと大きなマスクに邪魔されて表情の変化はあまり見て取れないのだが、細めた目や声の調子から、なんとなくだが、今どんな表情をしているのかが一護にはわかる気がした。



「大丈夫か? 」
「うん、へーきへーき。薬も飲んだし」
「あんま無理すんなよ」
「うん。ありがとう黒崎くん」



 答える織姫の目がにこりと笑う。その目の表情だけでも可憐な笑顔が推察できた。笑顔を向けられた一護は、体調を気遣う一方で不謹慎にもマスクが邪魔だなどと思ってしまった自分に気付いて、アホか・と脳内でツッコミを入れた。



「ヒメーっ!? どうしたのそのマスク!!? 」



 すぐ真後ろのドアから、大音量ボイスを伴って織姫の友人が入ってきた。朝から全開の彼女のラヴパワーには勝てず、一護は渋々正面特等席を明け渡す。



「お゛はよ千鶴ちゃん。ちょっと風邪ひいちゃって」
「うそ、やだー声まで変わってる! あー、あたしが変わってあげられたらッ…! 」
「ち、ちづるちゃん、あんまりくっつくとうつっちゃうよ」
「いーのいーの。ヒメの風邪ならうつされたい」



 語尾にハートマークを付けて織姫に抱きつく千鶴の後頭部に、たつきのツッコミ(殺人チョップ)が炸裂したところで、始業のチャイムが鳴り響き一同は席に着いた。






 曇天模様の寒い朝である。窓際の一護の席にも陽は射さない。ストーブを付けてもまだ暖まりきらない一限の教室は、健康な者でも体が震える。前日まで数日続いた晴天のせいで空気は乾燥しきっていて、登下校で風にさらされた手はぴりぴりと痛む。
 一護はふと、前日隣のクラスが学級閉鎖になったと妹が話していたのを思い出した。夕食で同席していた町医者である父親も、いよいよ今年も大流行だと苦笑していたのだった。実際、このクラスを見渡してみると、サボりや寝坊と思われる者を除いてもちらほらと空席が見受けられる。
 これほど世間で流行しているのだ。いつも元気な織姫であっても、風邪をひいていたっておかしくない。




 一護の席からはより後ろの席の織姫の様子をうかがうことはできない。
 授業中、何度か聞こえる小さな咳が気にかかった。




 四限が終了して、昼休み。用を足して教室に戻る一護の視界の中を、ふらふらと歩いていく後ろ姿があった。長く美しい胡桃色の髪が、おぼつかない足取りに合わせて左右に揺れる。
 一護が気になって足を早めたと同時に、その後ろ姿はぐらりと傾き、壁によりかかるようにして、崩れ落ちた。手にしていたらしいプリントの束が床に流れ落ち散らばっていく。



「井上! 」



 反射的にかけ寄って、体を支える。震える細い肩は異様に熱い。



「おい、大丈夫か井上!? 」
「あ…くろさきくん……ごめん、あたし、プリントばらばらに…」
「んなもんはいいから! オマエが大丈夫かってきいてんだ」
「あたし? うん、だいじょーぶだいじょーぶ…。それよりプリント…通行の邪魔になっちゃう」



 廊下の隅に崩れ落ちてしまっているくせに、力なく笑って立ち上がろうとする。



「バカ、大丈夫じゃねえだろ」



 一護は立とうとする織姫を制止して、散乱するプリントを拾い集めた。B4のわら半紙には『保健室だより 2月号』と銘打ってある。



「ごめんね」



 ほとんど吐息に近い声で、申し訳なさそうに織姫は言った。その様子に一護は自分でも解析できない苛立ちのようなものを感じた。



「何がだよ。…これ、うちのクラスに配る分か? 」
「うん…」



 織姫はしんどそうに壁に寄りかかったまま返事をすると、プリントを持つ一護に手を伸ばした。その手が「かして」と言っている。呆れたことに、こんな状態でも自分の仕事はやり遂げる気らしい。



 そのとき、二人の背後から、高校生とは思えない落ち着いた声が投げかけられた。



「どうした? 」
「チャド! いいとこに来た! 」



 声の主はクラスメイトの茶渡泰虎だった。巨きな腕に購買のパンを抱えている。



「井上、どうかしたのか? 」
「具合悪そうだから保健室連れてく。このプリント頼むわ」
それだけの説明だったが、一護の言うことをチャドが理解するにはそれで十分らしかった。
「ム、わかった」
「悪いな」
「いい」
チャドはパンを抱えていない方の手でプリントの束を受け取ると、気遣うように織姫を見てから、教室へ戻っていった。



「よし、行くぞ井上」
一護は織姫に背を向けてしゃがみ、トントンと親指で背中を指した。



「え? 」
「乗れよ」
「え・・・えぇっ!? 」



織姫は顔の前でぶんぶん両手を振った。
「いっ…いいよ、そんな…! あたし、ぜんっっぜん歩けるし! 」
「バカ、また倒れたら困るだろ。早く乗れって」
織姫はしばらく「どうしよう」というようにキョロキョロしてから、ためらいがちに、一護の背に体を預けた。



 同時に不純な気持ちがムクムクと沸き上がろうとするのを感じながら、なんとかそれを押さえ込んで、一護は織姫をおぶって歩き出した。
 背中越しに伝わる鼓動に急かされて、駆け出したい衝動に駆られながら、織姫に負担をかけないように精一杯の早足で。





 背中が熱い。
 首の後ろにマスク越しの熱っぽい吐息がふりかかる。
 密着する柔らかな感触についてはなるべく意識から追いやった。





「…ごめんね。あたし、重いよね」


恥ずかしそうに織姫がつぶやいた。脳内格闘中だった一護は内心かなりドキッとしたのだが、そんなことを織姫に気付かれるわけにはいかない。


「全然」


つとめていつも通りにクールに返す。実際のところは、やはり人ひとりの重さはそれなりには重いのだが、それも知られちゃいけないことだ。



「うそ、重いよ…」
「うそじゃねえって。それより熱いぞオマエ。朝から熱あったのか? 」
「んっと……実は……ほんのちょっとだけ…」
「じゃあなんで無理すんだよ。風邪にはまず休養だろ」
ちなみにこれは、黒崎家の最高法規、ユズ法典の一つである。
「…ごめんなさい」
「いやっ、俺に謝ることはねえんだけど…」
織姫が叱られた子どものように謝るので、一護は焦ってフォローした。
「……学校、休みたくないんだ」
「そうなのか? 変わってんなオマエ」
「そうかな…」
「おう、フツーは逆だ」
「そっか…」
背中の織姫が、ふふっ・と笑った。



「あたしは学校好きだよ。みんないて楽しいもん。学校に来れば、会えるから…」
そっと、吐息混じりにつぶやくその言葉が、一護に織姫の境遇を思い出させた。
「…そっか」
一護は自分の至らなさを痛感しながら、優しく言葉を返した。





「あー見つけたぜ一護! どこ行ってた・・・って・・・えぇー!? 」
階段でクラスメイトのケイゴと水色に遭遇してしまった。


「いいい井上サン!!? 何ソレ!!? 何してくれてんだ一護ォッ!!? 」
「っせーな! 病人なんだよ騒ぐな! 」
「え、井上さん、具合悪いの? 」
「マジで!!!? 大丈夫井上サーン!!? 」
「だァから騒ぐなっつの! 急ぐから行くぞ」
騒がしいケイゴの口を後ろからふさいで、水色はニッコリ笑った。
「お大事に。しっかりね、一護」
「…おう」
一護はその笑顔にとてつもなく嫌な予感を感じつつ、一言答えて、また歩き出した。






 ようやく保健室の前まで来た。扉は閉まっている。行儀が悪いとは思いつつも他に仕様がないので、つま先を扉の縁の溝にひっかけて、足でガラリと開ける。


「失礼しまーす」


呼びかけたものの返事はない。それもそのはず、保健室には電気も点いておらず、人の気配もまるでなかった。
「…まいったな、誰も居ないのか」
かと言って突っ立っていても仕方がない。手前のベッドに織姫をおろして電気と暖房を点ける。



「…先生、いないね」
「昼飯かもな。とりあえず横になってろよ」



 織姫はマスクを外してもぞもぞと横になった。顔はすっかり紅潮していて、一目で高熱を予想させた。けれど、体温計も冷やす物も、どこにあるのか一護にはわからない。
 ポケットの中に今朝入れてきたハンカチがある。それを濡らして額に当てれば少しは冷たいだろう。しかし生憎それはさっき便所に行って使用済みだった。


「井上」
呼びかけに応じて、熱で潤んだ瞳が一護を見上げる。
「俺、保健室の先生と越智サンに知らせてくるから、もうちょっと我慢な」
「……うん」
頼りなく頷く織姫。
 一護は医者の息子でありながら何一つ役に立てない自分を、どうしようもなく情けなく感じた。



「…熱、上がってきた感じとかは? 」
「だいじょうぶ。そんなにびっくりするほどはないと思うし…」
「どれ」



一護は、胡桃色の前髪をそっとよけて、うっすらと汗をばんだ織姫の額に自分の額を重ねた。
想像以上に、熱い。
「くっ…くくくろさきくんっ…! だめだよ、こんな近づいちゃ、うつっちゃうよ!? 」
一護の目の前数pの距離で、織姫は顔を更に真っ赤にした。一護はそれがおかしくて、額をくっつけたままクスリと笑った。
「…そっか、それなら俺にもできるな」
「ね、ねえ、くろさきくんてば…! ほんとに、うつっちゃうよぉ」
「いーんだよ。よく言うだろ? 人にうつすと治るって」
「え!? そ、そんなことないって、絶対! 」
「じゃあ賭けるか。これで俺にうつってオマエが治ったら俺の勝ちだ」
「なにそれ」
織姫は不本意ながらも笑ってしまった。つられて一護も目を細める。
「負けた方はメロン持って見舞いだぞ」
一護は飽和状態の甘い感情を隠すように、すぐにまた眉間を狭めぶっきらぼうにそう言って、先生に知らせに出ていった。







 数分後に保健室にやって来たのは、織姫の鞄を持ったルキアだった。
「大丈夫か、井上? 」
「ルキアちゃん! 」
ルキアは隣のベッドに鞄を下ろしてその横に腰掛けると、もう片方の手に持っていた紙パックのお茶を織姫に手渡した。
「先ほど廊下で疾走する一護に遭遇してな、それで頼まれたのだ。心細いだろうから先生が戻るまで傍に付いてやっててくれ・ってな。早退になるから荷物も頼む・って、そりゃあ必死な顔だった」
ルキアは愉快そうにくすくす笑いながら、自分のハンカチを水で濡らして、起きあがってお茶を飲む織姫の額に乗せた。
「保健室の先生にはもう言ったから、じきに戻ってくると言っておったぞ。担任にも話をつけてくるから安心して休んでろ・だそうだ」
「ありがとう、ルキアちゃん」
「礼なら本人に言ってやれ」
「…うん」
織姫は小さく頷いて、はにかんだ笑顔を見せた。







 ほどなく養護教諭とたつきがやって来た。
 一旦はたつきが織姫を送っていくと申し出たが、歩くのが辛いだろうという結論に達し、養護教諭が車で黒崎医院へ乗せていくことになった。
 一護は必死な顔で走り回っている間に、自宅に電話して織姫の予約を取るという仕事もこなしていたようだ。








 ちなみに、後日談。
 土日を挟んで月曜日。
 教室にはほとんど全快して元気に友人と話す織姫の姿があり、かわりに一護の姿はなかったという。





 どうやら賭けは一護の勝ちらしい。







こんなサイトもなんとか10000HITでございます。
これもひとえに見捨てないで来てくださる皆様のおかげです(><)
ありがとうございます!! これからもがんばります!!



壱萬打感謝の品につき無期限DLFです。
気に入ってくださった方はどうぞご自由にお持ち帰り下さい。



書いていたら私が軽く風邪をひきました(爆)
もう病気ネタとか怪我ネタは書かないぞ畜生!(笑)



「病人に強引すぎるだろいっちー! 」とつっこみたくなるので没にしましたが
実は当初の案ではもっとすごいことになっちゃう予定でした。
「じゃあ賭けな。これで俺にうつって・・・」のかわりに
「じゃあためすか」っていうセリフが入って、ちゅぅしちゃうっていう(爆)

そっちはそっちで嬉しかったかもなぁ、私が(笑)







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もっとすごいことって! どんなんですか!(笑)
ソレはソレであたしもうれしかったかもしれない、いろいろと。(笑)
でも、現状でも十二分なほど満足です!
壱萬打おめでとうございます。(言う場所とか時期とかをすごい誤っている)
敬礼。
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